第34回
かなちゃんのイヤイヤ
井上 さく子
ある日の保育参観
5月に2歳の誕生日を迎えた孫の物語から
見えてきたこと
それは長時間集団で過ごす全ての子どもたちに共通して言える葛藤でもあることでした。
指定の時間に間に合うようにと
お願いされて、両親の代わりにその場に駆けつけました。
2人の男の子だけ残して、ほとんどの親御さんは早めに入室していました。
お子さんたちも、パパやママの膝の上に座っていました。
後の2人はテーブルの椅子で、担任のお話の方に向いて座っていました。
一瞬、私が時間を間違えたのかしら?と思い、孫に目を向けると背中に寂しさを感じてしまいました。
その空気を邪魔しないようにそうっと座った瞬間に気づかれてしまいました。
(あらっ?!)
目があった瞬間に、両手を広げて飛び込んでくるのを待ち望んでいると、照れながら、笑いながら、なんと出口の方へかけていってしまいました。私の反応を試していたのです。
戻ってくるまで待っていると気持ちを切り替えて、私の膝の上にちょこんと座ってくれました。でも私はまっすぐに飛び込んで来ない孫の心持ちを知ってしまいました。
『どうしてとうちゃんか かあちゃんじゃないの?』
変化球はそのサインでした。
保護者が集まった後、お散歩の時間です。
「お名前を呼ばれた友だちから、帽子をかぶってお散歩に行きます!」と先生。
他の子どもたちはスムーズに帽子を受け取りかぶせてもらっている中で、
帽子を「かぶらない!いやだ!いやだ!」と反抗する孫のかなちゃん。
「無理にかぶせないで、なの?いやなんですね。分かりました!」と言葉を添えて移動するまでその場で待ちました。
イヤイヤの世界にはまっている孫に、どんな言葉もどんな助けも受けつけられないことを知った私は、本人の心持ち動くまで待ち続けていました。すると先生が
「帽子をかぶってお散歩にいくよ!」
「かぶらないといけないよ!」
と言葉を添えてくれました。
でも誰に言われても、「イヤだイヤだ!」は続きます。
みんな玄関へ移動した最後に、やっと行動を起こしましたが、気持ちの切り替えがつかずに移動したので、今度は靴も靴下も履きたくないと、全身で跳ね除けようとするのです。
そこへ
園長先生が駆けつけてくれて、「靴と靴下を履かないとホラ!みんな行っちゃうよ!」と。
私もその後に靴を履かせて、外に向かいましたが、『歩かない、抱っこもいや!散歩カーもいや!」
いやがる孫を抱いてすぐ近くの公園へ出かけて行きました。道中、先生が重い孫を気づかって、ベビーカーに乗せてくれましたが、かなちゃんは怒りの絶頂。泣いて訴えるかなちゃんとともう一人の友だち。
先生は歩きながら、「いつもはこんな様子ではなくむしろ散歩カーを押してくれるんですよ」と教えてくれました。
心配りに感謝しながら、
『いつもと違うこの激しく葛藤するその訳を先生はどんなふうに感じとっているのでしょう?』
そんなふうに思っていました。
公園に到着してもなお、ずっと「イヤイヤ!」が続きましたが、水分補給でお茶を飲むと、やっと、やっと、泣き止むことができました。
一呼吸してから、やっと我に返り自分から滑り台に向かって行き滑り台の上で立ち止まり、私と目が合っただけでまた「イヤイヤ!」と言います。
見て見ぬ振りをすると、滑ろうと心の準備ができていない状態でお尻が滑って下まで降りてしまいました。今度はそれがイヤイヤ!と半べそをかくことに。
この辺りで、先生が「お砂場で遊ぼう!」と声をかけてくれました。
シャベルとバケツを手にすると、自分から砂をすくってバケツに入れていました。
やっと本来の姿に戻って、遊び始めて束の間
「お片づけして、帰りますよ!」と先生たちの声。
立て直した心持ちがまたもや崩れ、さっきまでと同じ状態に。
みなさんだったら、大人のこのタイミングと子どもの心持ちをどんなふうにうけとめるのでしょうか?
こう言う関係性が日常の暮らしの中に当たり前にあるとしたら、子どもたちは泣いて訴えるしかないと思いませんか?
それでも
「おしまい!」と言われたとしたら、子どもたちの心持ちはどうなるのでしょう?
答えは一つ、
怒って泣き、「歩かない!乗らない!抱っこ!」と訴えるしかないと思いませんか?
ずっと遊ばせてあげることができなかったとしたら、せめてその泣きの訳を分かってあげる人になりたいものです。
炎天下、暑い中を葛藤する孫たちのありのままを知る機会をいただき、楽しかったと言うよりもとても切なくなってしまいました。
長いこと、子どもと向き合う仕事をさせてもらってきた私にとって、
「イヤイヤ期なのね!」のひとことと大人の都合で、ぼくの心持ち決めつけないで!」と言われているかのように感じた長いながい物語でした。
ランチタイム後にいつもより、早い帰宅。いつもは駆け足で帰宅を喜ぶ孫と並んで急ぎ足の私ですが、ここでも「歩かない!あっち!こっち!」と訴える。
その結果、抱っこで帰宅。
帰りながら帰ったらお風呂場で遊ばせてあげようと決めていました。
涙と汗でグシャグシャになった心持ちをシャワーで流しながら
お風呂場でたっぷり、水遊びならぬお湯遊びをして楽しむことに。
声をあげて笑い、はしゃぐ孫!
お風呂から出るとさっきまでのことはすっかりと流されて、かなちゃんは爽やかな笑顔に戻っていました。
ここに至るまでのプロセス、もがき葛藤する世界から抜け出せずにいた孫が、自分の力で切り替えることができたときに すくっと成長の芽が伸びた気がしました。
たった一つの理由で、ここまで頑張って自己主張できる力を感じたときに、対応する側としては焦りを感じるかもしれませんが、私は逆にこれこそが生きるための大切な力が育まれる物語だと思いました。
たっぷり3時間のお昼寝の後に私の顔を覗き込んで、
「わあっ?!ばあー!」とキャハハと笑って、走って逃げていく孫の満面の笑み!
私たちの知らない世界と、
子どもたちの毎日が新しい発見の世界。
つらいことよりも
夢中になって遊び惚けられる世界を提供できる人でありたいと思います。
コメント(3)
子どもが、自分から立ち直るまで待てる大人の気持ちが子どもを成長させるのだと、かなちゃんのエピソードから感じました。大人の都合で急がせたり、遊びを終わりにしたりとしてしまうことがあります。自分で決めることや夢中で遊べることの大切さを学べました。
待ちに待った保育参観。お友達のパパママが次々くる中で、次は私の番とワクワクして待っていたかなちゃん。ところが来てくれたのはホントは大好きなはずのバーバ。頭ではなんとなくわかっても気持ちと折り合いがつけられない気持ちは大人だってあることです。その気持ちを受け止めずして帽子をかぶらないと、靴を履かないと置いていかれるよなど、いつも通りをさせる保育。今日は特別の日なのにを共感してあげられなかったのかなーと自園の事として考えさせられました。そう簡単に気分を切り替えられないというかなちゃんの気持ちこそ素直な成長過程と理解することの大切さを感じました。すぐに気分転換させようとする大人を振り払い納得いくまで思いを貫いたかなちゃんにあっぱれ!と言いたいですね。
かなちゃんというお名前にドキッ。笑
読み進めていくうちに、よく見てしまうほいくの風景が蘇りました。大人にとっては色々理由のある一日ですが、子どもにとっても子どもなりの思いがある一日ですよね。さく子先生の言葉やエピソードはいつも特別なものではなく、私達保育士と子どもたちのすぐそばにあるものと感じます。だからこそ、明日こうしてみよう。こう向き合ってみようと実践へと繋げていけるのだと思いました。いつも本当にありがとう…です。この忙しない日常の中、ふと立ち止まらせてくれるさく子先生、ありがとうございます